「書いて伝える」私の原点はここから
「書いて伝える」ということをスタートしたのは1999年、私が第二子を出産して間もなくのこと。
生まれ故郷から離れ、知らない土地で子育てをスタートしてから数年、ようやく何人かの友人ができた頃だった。
当時はまだ「子育て支援」の言葉さえ耳慣れない時代。ようやく「公園デビュー」という現象がワイドショーなどで取り上げられていた頃だ。もちろんインターネットだって普及していない。オンラインではなく、完全オフラインの世の中だった。
仕事を持っていなかった私にとって、無我夢中になって我が子と向き合う日々は、楽しい反面、子育ての難しさや、社会との距離を感じる毎日でもあった。もちろん、夫や、同居していた夫の家族もいたけれど、「私だけ、私と子どもだけ」が世の中から取り残されているように感じていた。
心の底に少しずつ堆積されていく寂しさとストレス。
この状況が続くと、私にとっても子どもにとっても決して良いことはない。
この状況を変える何かをしないといけない。そう思った。
子どもを育てている母親として、「今の私にできること」は?
子育てに悩む母親、社会との距離を感じる母親は、きっと自分だけではないはず。だったら、私にとっても、そんな母親たちにとっても、役に立つような情報を集めて発信したい。そして、その情報を手にすることで、少しでも元気に笑顔になる母親が増えてくれればと思った。もちろん、その一番目は私自身。
「今の私にできること」、その答えは、子育て情報誌づくりだった。
それからは、誌面を一緒に作り上げていく仲間を見つけ、どんな情報誌にしようかと編集会議を重ねる毎日。子どものしつけや、トイレトレーニング、病気やケガへの対応など、実際に掲載した「子育て」にまつわる情報は多岐に渡った。そういえば、数組の親子連れで県知事にインタビューしたことも。
「書いて伝える」ことの難しさを痛感したが、私にとっては、仲間と共に一つのものを作り上げた、かけがえのない時間となった。なにより、「自分が今ここにいる意味」を実感できた時間だった気がする。
それから5年に渡り発行を続けた「三原発 子育て応援情報誌 ゆけゆけがんぼ」。
これが「書いて伝える」私の原点。
あれから24年が経ち、今また、「書いて伝える」で世の中に一歩踏み出した。
あの頃ほどの若さはないけれど、熱量はそれほど変わっていないと感じている。